千葉大学工学部(画像系)100周年に寄せて
更新日:2015年07月31日
大学では、広橋亮先生のご指導で、有機半導体の合成と物性測定の研究をした。性能の良い光半導体を作る事が目的と思っていたが、物性と有機化合物の構造相関の説明に、先生は重きを置かれた。高エネルギーの紫外線を当ててもピクンと針が動く程度の半導体特性に「小生のモノづくり欲」は満たされなかった。但し、新規の有機化合物を合成し、物性を測り、その結果をメカニズム解析と称して、「アレコレ解釈する」のは楽しかった。でも、本当は、金属をドープしても何でも良いから、性能の良い有機半導体を創りたかった。世間の想像力を超えた性能を出せば、そのメカニズム解析にも力が入り、「アレコレ解釈」とは違った緊張感のあるものになったはずだ。求道者のような先生は、金属ドーピングはオリンピックのように禁忌であった。先日、物故された先生の霊前で、「先生、ノーベル賞貰いたかったですね」と問いかけたら、写真の柔和な目が一瞬怒ったように見えた。
企業人となって、技術者には2種類有る事に気づいた。「良いものを創ることより、現象の説明に重きを置くタイプ」と「良いものを創るのが先で、説明は後から考えるタイプ」。圧倒的に後者は少ない。前者は時として、出来ない理由を理路整然と説明してくれる。大学時代の不完全燃焼のお陰で、自分は後者を貫いた。良い成果を挙げれば、説明はそれがサイエンスであってもきちんと後から付いてくる。工学部の原点を企業で実践して来た(つもり)。
我が千葉大学の写真工学や印刷工学が百周年になるという。漠然と、伝統とは縁が薄い千葉大学と思っていたので、ちょっと誇らしい。一方で、大学も企業のように構造改革で画像系が消滅の危機にあるという。世の中が変われば、大学の教育、研究の有り方が変わるのは必然である。特に、基礎科学と違って、画像という極めて具体的な分野は普遍的な学問として扱うのは難しい。でも、薬学部や農学部、いや医学部だって普遍的な学問、サイエンスとしては括れない。今や、画像工学だけではない、全ての学問分野の括り方を見直す時代なのだ。医学、薬学の分野は間違いなく遺伝子や、細胞のサイエンスなくして語れない時代になってきている。ここで、重要なのは、画像工学という実学に近い分野に百年かかわってきたDNAをどう進化させるべきかと言う問いに答える事である。ある視点は、イノベーションは基礎学問だけでは達成できないという事である。ここで言うイノベーションとは、社会に全く新しい価値を提供する事である。部品的な専門分野に呪縛された狭い専門家集団だけではイノベーションは起こせない。自分が生きて居るこの社会を使命感を持って眺め、全体感を持って課題を抽出し、自らが中心となって周囲を巻き込みイノベーションを仕掛ける。こんなDNAを画像と言う世界を通じて培ってきたと言う誇りを次代に伝えるのが我々、OBの義務であろう。
昭和46年卒、48年修了
富士フイルム株式会社 取締役・専務執行役員
戸田雄三