小柴さんのメッセージを拝読し、一筆したためさせて頂きました。

更新日:2015年05月18日

小柴満信様

この度は私と同期の五百旗頭(いおきべ)さんや画像工学同窓会長の湯本さんはじめ有志の皆様のご尽力による100周年記念事業の企画にご賛同頂き、まことに有難うございます。

小柴さんご寄稿のメッセージを拝読し感慨深いものがあり一筆したためさせて頂きました。振り返れば当時は私も若気の至りでやたらに張り切って、今思い出すと冷や汗が出るようこともありましたが一番楽しく充実した時期でもありました。「日の丸半導体」の躍進が始まるころで研究室も角田教授のもと、学生さんたちもやたら元気があり、日本の将来を託するのに十分な気概が感じられました。その中でも一際バイタリティーに満ちていたのが修士課程の小柴さんと、お酒でバイタリティーのあった鳥海さんでした。小柴さんは極めて積極性があり自らロータリークラブから留学の奨学金を獲得し米国のウイスコンシン大学の修士課程に入りレオロジーの世界的権威のもとで高分子の勉強をしてこられました。才能か、それとも、もともと多弁だったせいか英語が素晴らしくうまくなって帰ってきました。引き続き、日本合成ゴム(株)(現JSR)の東京研究所に入りホトレジストの研究に励み米国シリコンバレーのサニーベールに設立されたJSRマイクロエレクトロニクス(現JSR Micro.Inc.)で中心的な立場で活躍されて米国市場で急速な発展を実現しました。

印象的なことは私が学会の途中サニーベールに立ち寄ったとき、ごく近所が半導体工場の拡張工事の最中でした。聞くところによりますとその土地はロッキード社から買い取ったものですが交渉が中々進まず、業を煮やした小柴さんが、他の州を探すと仄めかしたところ、カリフォルニア州が慌てて乗り出してきて上手くロッキード社との話をまとめてくれたとのことでした。カリフォルニア州と駆け引きを行うなどまさに小柴さんの真骨頂でしょう。この勢いで若くしてJSRの社長に就任され長期に亘り重責を果たしておられます。また、件のお酒でバイタリティーのあった鳥海さんもフォートランをすらすらと書けた優秀な学生さんでしたが今もなお大活躍されています。「出藍の誉」たる人材の輩出は研究室の教官やOBにとってまさしく大きな誇りであります。

大学も今や世界が舞台となっています。 世界で活躍できる人材を輩出するのが大学の価値であり、千葉大学が世界を舞台に一層価値ある大学になって行くことをOBとして小柴さんと共に願って止みません。

山岡亜夫(千葉大学名誉教授、昭和37年卒)